伊東 峻志
小学校教諭
Q1:本書を読んで印象に残っている一文があれば教えてください。
—————— 港|何でもキーワード検索できる時代になって、予定調和になってしまうことにどこかで限界を感じているんだと思うんですよ。リーディンググループで取り上げた本が、すぐに何かにつながらないかもしれない。でも、もしかすると10年後、20年後、たまたまそのときの二人が一緒に仕事をすることになったときに、片方がポンと投げた一言にピンときて、ものすごくいいものができるかもしれない。それは、本じゃないとできないことのように思います。
芹沢|うん、そうでしょうね。
港|やはり本というのは、ただのプロダクトではないような気がしますね。
芹沢|言葉も書かれているけれど、やはり物質的な塊ですよね。そうすると当然、その本自体も年を取ってくるし、自分の肉体がその物質と出会って、一緒に同じように年を取っていく。だから、ある言葉が合言葉として聞こえてくると、その本に出会い、歩んだ自分の人生が紐づいてきて、ただのキーワードを共有した以上の何かが生まれてくるんじゃないだろうか。
[p93 1行目ー19行目]
港|「いつ」「どこで」ということを考えると、一冊の本に100人の読者がいたら100種類の本になるでしょう。これが、本の「外縁」だと思うんです。内容は同じだけど、その人がいつどこでページを開いたかによって、がらっと経験が変わる。
[p95 4行目ー8行目]
芹沢|それはやはり、本の物質性と直結しているんでしょうね。
この歳になっても、どこでどういうときに読んでいたかが鮮明に思い出される本ってあるんですよ。喫茶店で彼女に振られたばかりでとか、いろんなものが全部くっついてくる。そのときの記憶がパブロフの犬のように、偶然目にした一言で否応にもなく湧き出てくる。身体と直結しているんだろうね。100人いたら100の経験がそこで生成されていくわけだから、それぞれの物語が再び集まってきたらおもしろいよね。
[p95 21行目ーp97 6行目]
Q2:その一文から感じたこと、思ったこと、考えたことを教えて下さい。
日々、数十人の子どもたちと本や物語を読んでいると、同じ本を読んでいても共有しているようで共有しきれていない不思議な感覚を持つことがある。それは至極当たり前のことで、同じ本を読んでも感じ方は違う、同じ言葉一つとっても思い浮べる情景は、一人ひとり違うものなのだ。でも、その異なるイメージを擦り合わせていく、語り合っていく、この瞬間こそが「豊かな読みの時間」なんだなと思えてくる。
答えを出すことを求めがちな学校だからこそ、いろいろな読みを大切にしたいし、一人ひとりの読みに紐づく何かを汲み取って行きたい。その読みは、同時に未来へも繋がっているんだ。そう思うととてもワクワクしてくる。
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