100の読者、100の経験[040]


渡邉 ひろ子

 

美術家

2018年3月2日 仕事帰りのカフェにて
2018年3月2日 仕事帰りのカフェにて

Q1:本書を読んで印象に残っている一文があれば教えてください。

—————— ようするに「ある」と「なる」ということです。たとえば、この僕の身体はここに「ある」と見てもいいけれど、僕の身体に「なり」続けていると見てもいい。

 

こうしたプロセス中心の世界観がやっと80年くらいになって出てきた。生命や物質というのは、いつもゆらゆら生成し続けているという感覚を、たまたまこの二冊に猫が仲介に入ってくれて、自分のなかで腑に落ちたということがありました。

[p58 9行目ー17行目]

 

Q2:その一文から感じたこと、思ったこと、考えたことを教えて下さい。

 

「僕になり続けている」という表現が生命体として、とても肯定的なものであるようで、なんだか良いなと思いました。

 

最近、コミュニケーションについてぼんやりと考えることが多くなってきています。

当たり前ですが、対話はひとりで成立させるものではありません。必ず誰かがいて、その相手との関係の中で生成されていくものです。発した言葉に反応し、返した言葉がまた次の言葉に連なっていく。それは、言葉の選び方、リズムやタイミング、間、身振りや表情、経験や知識の有無などさまざまな要因によって幾重にも変化してしまう。そう思うと対話は、どこに運ばれるのか全く予測できない複雑で繊細な流動体のようです。言葉は常に動きつづけ、その中でわたしは自分を確立していく、そしてそのわたしが相手の存在を認識する。その相互に影響し、交換し合う状況に希望を感じます。

 

この本では「共有」「共進」「分配」など「他者と共に生きていく」ということの可能性がたびたび語られています。そして、それは「わたしになり続けていく、わたしとして生きていく」という事と同義ではないでしょうか。このような意志と誠実さが、わたしにはとても尊く、かけがえのないことのように思えるのです。



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